走ることで人生をつなぐ

「柔道整復師の資格を取ったことで、仕事の信用度が変わりました。イベント出演の単価も交渉しなくても上がり、“安心して任せられる人”と思ってもらえているように実感しています。」

そう語るのは、吉本興業所属の芸人であり、日本医専 柔道整復学科 昼間部 24年卒 走るお笑い芸人・マラソンコーチ 猪瀬ゆうすけさん※芸名がんばれゆうすけ「走る芸人」として全国のマラソンイベントに出演し、寛平マラソンなどでもその存在感を放ち、さらに東京の陸上競技場を貸し切って200名も集まる人気イベントを主催するほか、満席となるレッスンを定期的に開催している。東洋大学陸上部出身で、箱根駅伝の補欠としてその舞台を間近で経験した彼は、走ることを通して人生を切り拓いてきた。

「グアムインターナショナルマラソン2015」フルマラソン男性の部で優勝。
2023年「FNS27時間テレビ」では、コムドットのマラソンコーチとして携わる。(日本医専在学中)※ライブ訪問時の楽屋挨拶にて撮影

 

走ることが、人生の軸になる

猪瀬さんが走り始めたのは中学生のとき。
サッカー部で試合に出られずベンチを温めていた彼に、陸上部の先輩が「猪瀬、走るの速いんだし一度大会に出てみないか?」と声をかけたのがきっかけだった。

出場した大会で県優勝や準優勝を果たし、走る楽しさに目覚めた。

「その先輩が声をかけてくれなかったら、サッカー続けていただろうし、今の自分はいません。」

高校・大学と陸上を続け、東洋大学では箱根駅伝の補欠に選ばれた。

「箱根駅伝の3日前まで走ることが決まっていたんですが、最終的には別の方が走りました。」

「最後の最後まで夢を追いかけることができて今では、いい思い出です」

箱根駅伝を目指す過程で得た“努力の積み重ね”の大切さは、今の仕事にも生きているようです。

 

サラリーマンから“走る芸人”へ

大学卒業後は建設会社の営業職に就いた。4年間働くなかで、趣味として走り続け、ランニングイベントにも呼ばれて参加。

その姿が徐々に注目を集め、周りの人から「うちでもコーチをしてほい!」「走るイベントにて来てほしい。」と声がかかるようになった。

「走ることを仕事にできたらいいなって思ったんです。まだ若いし、ダメでもどうにかなる。そう思って会社を辞めました。」

転機となったのは、マラソン好きとして知られる宮川大助・花子師匠との出会い。

走り方を教えるうちに、ホノルルマラソンにも同行した。

闘病中の宮川花子師匠のお見舞いに、大阪へ通う。

「“あんたそんなに走るの好きなら、吉本から走ったら?”って言ってもらって。“登録料とかお金かからないんですか?お願いします!”って。」

その言葉が、芸人・がんばれゆうすけ誕生の第一歩となった。

漫才コンビを組み『M-1グランプリ』にも挑戦したりと一気に活躍の場が広がっていく(2回戦進出)。

 

 

SNSで見つけだしたチャンスが人生を動かす

宮川大助・花子師匠との出会いについては、SNSがはじまりだった。

ランニングコーチとして有名になりたい。そう思った猪瀬さんは、まず行動した。

「当時は“有名人のコーチにつけば知名度も上がる”と思っていたんですが、もう有名な人には有名なコーチがついている。じゃあ、まだ名前が知られていない人を速くさせよう、と考えました。」

X(Twitter)で当時まだ売れていなかった吉本芸人で、高校駅伝の経験者を見つけた。

「“この人を速くしたい!”と思って、“走りを見させてください!”ってDMを送ったんです。」
そこからの展開は早かった。

猪瀬さんの指導を受けた芸人さんが、芸能界最速記録を更新し、『オールスター感謝祭』のマラソンコーナーに出演。

「そういった話がひろがっていき、そんな若手を応援したい!と、走るのが大好きな宮川大助・花子師匠たちが寄ってきてくださったんです。」

この出会いが、猪瀬さんの人生を大きく変えることになる。

大きなイベントのMCとしても活躍を広げます。
大阪・成田山不動尊(成田山 明王院)で行われた、成田山節分祭に宮川大助・花子師匠と参加。

 

 

芸人として、ランナーとして、走り続ける

吉本所属後すぐ、TBS『オールスター感謝祭』のマラソンコーナーに出場。

2013年春は4位、秋は2位と結果を残し、一気に注目が集まった。(2025年秋は、猪瀬さんがサポートした選手が優勝。)

その後はスポーツ番組やイベントへの出演が一気に増え、大河ドラマ『いだてん』では走り方の指導や役者として(孫基禎選手役)で参加。

だが、コロナ禍でイベントが全滅※全くなくなりました。

「時間ができすぎて、ひげは伸びるが貯金は減っていく…このまま何もしないのはいけない。何か新しいことを始めよう!と思ったんです。」

 

 

日本医専で“身体を学ぶ”という新しい挑戦

そんなときに出会ったのが、日本医専だった。

「柔道整復師の国家資格を取ることは、自分の活動にも活かせるチャンスだと思いました。嫁さんも花子師匠も“ええな!”って背中を押してくれました。」

授業は月~金曜の午前中。午後や土日はイベント活動に専念できる環境が、決め手の一つだった。

「アットホームで、先生も親身に相談にのってくれる。テストとイベントが重なったときも、解決策を探してくれました。」

在学中の3年間を振り返ると、真っ先に浮かぶのは“楽しかった”という言葉。

「授業のない日も学校に行ってました。勉強だけでなく、学生さんが先生に恋愛相談しているのをきいたり、一緒に勉強したり、本当に充実していました。嫁さんにも〝本当に楽しそうにしてた〟って言われました」

花子師匠の闘病中には、日本医専で学んだ介護の知識を活かしてお見舞いにも。

「ちょこちょこ大阪まで、白衣持っていって見せたり“肩やりますね”“ご飯食べてますか?”って。車椅子の使い方とか学んだことがすぐに役立ちました。」

猪瀬さんの「柔道整復師になって、国家資格を取得する」という選択は、周りの人を明るくしてくれた。

 

 

一度の挫折、そこからの再挑戦

成績優秀で知られていた猪瀬さん。
しかし、国家試験でまさかの不合格という結果に。

「問題の読み間違いですね(笑)。国家試験の独特な雰囲気に緊張しちゃいました!自分は楽観的で、来年受かるのはさらに狭き門なので受かったら自信になるな。って、でも親に“落ちたことをきちんと受け止めなさい。仕事にも影響するよ。”と言われて、気が引き締まりました。」

すぐに切り替え、日本医専の自習室にこもって勉強を続けた。

翌年、再挑戦で見事合格。

「2回目の合格率は落ちるので、一度落ちて2回目で受かったことで自信もついたし、ネタにもなりました。」

 

資格が与えてくれた“信用”と“新しい価値”

柔道整復師の資格を取得したことで、仕事にも変化が訪れた。

「柔道整復師の資格を取ったことで、仕事の信用度が変わりました。イベント出演の単価も交渉しなくても上がり(取得前の倍の金額に)、“安心して任せられる人”と思ってもらえているように実感しています。」

在学中には『FNS 27時間テレビ』でコムドットのマラソンコーチも担当。

「プロデューサーから依頼があり、まだ自分が学生だったので“身体のことをきちんと正しく判断できる人がいたほうがいい”と思い、日本医専の専任教員スポーツトレーナーの大隅先生に声をかけて、一緒に帯同しました!依頼する側も、国家資格を所持している人が携わることで安心できますよね。」

 

 

信頼は、日々の積み重ねから生まれる

「誰もみてなくても、自分が頑張れる最低ラインを決める。それを守って努力していると、自然と助けてくれる人たちが現れます。」

「営業に行くより、与えられた場でしっかり発揮するほうが、自分らしいんです。」自分にあったやり方で活躍の場をひろげる。

紹介を受けるときなどは、必ずつないでくれた人にワンクッション連絡を入れる。

「花子師匠から教わった“人のご縁のつなぎ方”を大切にしています。」

そんな猪瀬さんの姿に、自然と人が集まってくるのも納得だと感じます。

 

 

在校生へのメッセージ

「好きなことを仕事にしていていいですね」ってよく言われるけれど、好きなことでも気持ちが乗らない日はある。

「趣味だったらやりたいときにやるのでいいけど、趣味を仕事にすると、やりたくない時でもプロとして、きちんとクオリティーを保っていかないといけない。」

「授業だるいな、帰りたいなってときに授業を受ける選択を取ってみる。それが社会に出てから絶対に役に立ちます。」

また、学生に向けてこう続ける。

「自分の中で“ここまでは頑張る”というラインを決めて、それを守る練習をする。それが社会に出て稼げる人になる第一歩だと思います。」

「僕の場合の学校での最低ラインは、学校を休まない、授業中に寝ない、赤点を取らない。」

 

“続ける”ことで価値は生まれる

高校生や、これからもスポーツを続ける進路を考える人へ。

「得意なことを続ければ、それが歴史になり、やがて価値になります。オーラや雰囲気や表情もかわってきます。十年続ける人は多いけど、二十年続けるとライバルが減る。だから、好きなことはやめずに続けてほしい。やっぱり得意なものは、絶対に武器になります。」

柔道整復師という資格もまた、信頼を生み、チャンスを広げてくれる。

「国家資格を持っていると、周りの人も仕事を紹介しやすい。“柔道整復師持ってます”って言えるのは、大きな強みです。」

前列中央にいるのが、猪瀬さん。

 

 

新しい減免制度で“もう一歩先の挑戦”を

日本医専にはさまざまな減免制度がありますが、「自分のときにもこの制度があったら、絶対受けてました(笑)」

・アスリート・アーティストセカンドキャリア支援制度▶コチラ

対象:柔道整復学科 昼間部・夜間部
学費減免額:最大395万円(3年間の学費)を全額免除

・イノベーションチャレンジ制度▶コチラ

対象:柔道整復学科 昼間部
学費減免額:最大250万円(3年間の学費)

「新しい挑戦、たぶん迷うと思います。でも、今までやってきた仕事のノウハウは消えません。それを持ったまま新しいジャンルに進むのは、武器を持ったまま、さらに新しい武器を加えてどう使うか、どう組み合わせるかを考えられるんです。」

2つの特技が重なって、新しい階段を登っていく感覚を味わえる。「めちゃくちゃ楽しいですよ!」

この制度たちは、挑戦する人を本気で後押ししてくれる仕組み。

 

 

日本医専の学びが、今も支えている

卒業後は日本医専で柔道整復学科の助手としても活躍。

「在校生や、これから入学する方で、マラソンやメディア、将来のことなど不安がある人は、なんでも聞いてください。自分の経験でよければお答えします!」

 

 

部活にも積極的に参加してほしい

日本医専には5つの部活動があります。
強豪サッカー部、野球部、バスケ部、柔道部、ダンス部、定期開催の料理教室など。

最近色んな部活で、猪瀬さんが楽しそうに参加しているのを見かけます!

「学科を越えて色んな人と関わる機会にもなるし、仲間が増える。どうせ同じ時間を過ごすなら、楽しんだり色んな可能性をひろげたほうがいいですよ。」

最後に、笑顔でこう締めくくった。

「この学校には、本当にいい子たちばかり。世代を越えて自然に仲良くなれます!安心して大丈夫ですよ。」

猪瀬さんの挑戦し続ける姿勢、仲間やご縁を大切にする温かさに、「自分にもできることがある」と刺激を受ける方も多いのではないでしょうか。

日本医専には、こうした前向きさや情熱と行動力をもつ魅力的な人たちが集まっています。

ぜひお気軽にオープンキャンパスや個人面談にお申し込みください!

 

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